ここには言葉で語り尽くせないものがある

ここには言葉で語り尽くせないものがある

一陽来復(いちようらいふく)…冬が去り春が来ること。悪いことが続いたあと、ようやく物事がよい方に向かうこと。(参照:デジタル大辞泉)

一陽来復の春、すべての人に知ってもらいたい鎮魂と再生の物語

季節は移り、景色も変わる。人々の暮らしも変わった。
6年間の日常の積み重ねから発せられる言葉と、明日に向けられたそれぞれの笑顔。

2011年3月11日の東日本大震災から6年あまり。震災によって甚大な被害を受けた宮城県石巻市・南三陸町、岩手県釜石市、福島県川内村・浪江町の各地では、多くの人が喪失感や葛藤を抱えながら、新しい一歩を踏み出している。

  • 3人の子供を失った場所に、仲間のための集会スペースを作った夫婦。
  • 津波の後にもたらされた海の恵みに気づき、以前とは異なる養殖を始めたカキ漁師。
  • 震災を風化させないために語り部となったホテルマン。
  • 写真の中で生き続けるパパと、そろばんが大好きな5歳の少女。
  • 全村避難の村で田んぼを耕し続けた農家。
  • 電力会社との対話をあきらめない商工会会長。
  • 被爆した牛の世話を続ける牛飼い。

カメラは「復興」という一言では括ることのできない、一人ひとりの確かな歩みを自然豊かな風景とともに映し出す。

東北の各地で生まれている小さな希望と幸せ

本作品では、岩手・宮城・福島の被災3県で生きる市井の人々の姿を通じて東北、引いては日本の現在を包括的に捉えた初のドキュメンタリー。多岐にわたる登場人物やストーリーの根底には生命の賛歌が流れている。
監督は、NHKドキュメンタリー番組制作や『サンマとカタール 女川つながる人々』などのプロヂューサーを経て、本作が初監督となるユンミア。「東日本大震災の衝撃と悲しみは世界中の人々に伝播したが、その後生まれたたくさんの小さな希望や幸せを伝えたい」という一心で東北の各地に通い、取材を続けた。また、東北に縁が深く、継続的な復興支援活動で知られる藤原紀香と山寺宏一がナレーションを務める。


  • 風化させたくない以上に思うことがあります
    なかったことにしたくない
    ―伊藤俊さん(南三陸・ホテル従業員)

  • 皆いろいろなもの背負って生きていて
    それは顔に書いているわけではない
    でも人が生きるって、そういうこと
    ―遠藤伸一さん(石巻・木工職人)

  • 農業は農業で生きていく他ない、生業だから
    ―秋元美誉(よしたか)さん(川内・農業)

  • 町民を一つにするのが神社だ、祭りを通じて
    ―二本松富太郎さん(釜石・鵜住神社 総代)

  • 時間が解決するとは思わなくて
    多分ずっとこんな感じなんだろうなって
    ―奥田江利香さん(南三陸・会社員)

  • 自然という財産の、私達はその利子だけで
    生活させてもらっているんですね
    ―後藤清広さん(南三陸・牡蠣漁師)

  • 水質分析すると、50年若返ったといわれる海に
    今戻っているわけです
    ―後藤一磨さん(南三陸・農漁業)

ナレーション


藤原紀香(フジワラ ノリカ)
1971年6月28日生まれ、女優。兵庫県出身。
大学時代の1992年ミス日本グランプリ受賞。
1995 年に阪神・淡路大震災を経験したことを機に上京して芸能活動を開始。
俳優、声優、司会業のほか、京都国立博物館大使、幅広い分野で活躍中。
主な出演作にドラマ『昔の男』(01)『ギネ 産婦人科の女たち』(09)、『ある日、アヒルバス』(15)、映画『CAT’S EYE』(97/林海象)、『SPY_N』(00/スタンリー・トン)、『サバイバルファミリー』(17/矢口史靖)、吹き替え「シュレックシリーズ」(01,04,07,10)(フィオナ姫)、『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』(03)(キャメロン・ディアス役)等。
女優としての活躍の傍ら、 アフガニスタンや 東ティモール等でレポートなど国際他人道支援にも積極的に取り組む 。2009 年から赤十字広報特使に就任。東日本大震災では直後から被災地への訪問を重ねている。


山寺宏一(ヤマデラ コウイチ)
1961年6月17日生まれ、声優・俳優。宮城県出身。
1985年声優デビュー。吹替作品やアニメ作品で様々な役をこなし、声の使い分けと演技力に定評あり。2000年に俳優デビュー。主な出演作に、『エヴァンゲリオン』シリーズ(加持リョウジ役)、『かいけつゾロリ』(ゾロリ役)、『ルパン三世』シリーズ(12~/銭形警部役)、吹替作品ではウィル・スミス、エディ・マーフィ、ジム・キャリー、ブラッド・ピット他多数。2008年より宮城県ゆかりのアーティストで作った「みやぎびっきの会」に参加。チャリティコンサートを実施していたが、震災後はさらにスケールアップし「びっきこども基金」を設立、長期的な支援を継続している。